《長女の登園拒否》

長女は幼稚園の年長の秋から、幼稚園に行くのを嫌がるようになりました。
目覚まし時計を耳元で鳴らしても、ほっぺをたたいても、体をゆすっても何をしても起きよとしないのです。私は、そんな長女の様子を見て、なぜ起きないのか、何で幼稚園に行こうとしないのか、何もいってくれない長女に腹を立て、長女を叱ったり、責めたりしながら、無理やり連れて行っていました。
 年が明けて、長女が幼稚園に行きたくない本当の理由がはっきりしないまま、行ったり、行かなかったりの日が続いていたのですが、3月のはじめ、担任の先生が「皆が帰った後、幼稚園においで」といってくださり、長女を連れて行きました。先生が、長女を抱っこしようとしたとたん長女がひどく泣き出し、私にしがみついてきたのです。その様子を見て先生が「幼稚園では、おとなしくて、とてもいい子で、何でもちゃんとできる子なんですよ。泣いたのを見たのは初めてです。」と驚かれていました。
 家に帰って、私は長女に、「今まで、先生の言うことをがんばってやってきたんだね。それでしんどくなったんだね。」と言うと、長女は「うん!」とうなずきました。
先生の言うことはきちんと実行しなければならないと言うプレッシャーに絶えられなかった長女、そして、母親である私に自分の辛さを言葉に出して言えず、辛くて不安な思いを、一人で抱え込んでいたんだと思うと、私は長女がかわいそうで、そして私の親としてのふがいなさが悔しくて、思わず、長女を抱っこし、「つらかったね。」と言って、長女の頭をなでながら、涙が止まりませんでした。
 その晩から長女の態度が変わりました。トイレに行くのも、お風呂の入るのも「だっこ」「おんぶ」をせがむようになったのです。甘えて抱きついてきたり、幼児語をじゃべったり、下の子を叩いたり、蹴ったり、駄々をこねたりするようになりました。それは、幼児の自然な姿なのですが、長女には、そういう時期がなかったのです。下の子がいるということもあり、私が長女を抱っこしたのも久しぶりのことでした。
 母親である私に、「自分の気持ちがわかってもらえた」「本当の気持ちを言ってもいいんだ」「やりたいことをしても大丈夫なんだ」と長女は感じたのでしょう、今まで、我慢していた、甘えたいと言う気持ちが、一気にふき出てきたようでした。
 素直に自分が出せて、何でも言えるような親子関係だったら、登園拒否にはならなかったかもしれません。どんなに幼稚園がしんどくても、親が子どもの気持ちを聞いてやれるだけのゆとりを持ち、子どもを見守ってやっていれば、長女の気持ちも楽になり、元気を取り戻して、乗り越えられたかもしれないと、今反省しています。

《小学校でもまた》

いよいよ小学校!春休みに、学用品に名前シールを張ったり、ランドセルを飾ったりと、その様子は、とても嬉しそうでした。そして、入学式は喜んで学校に行きました。しかし次の日、長女は学校に行きたがりません。
幼稚園とは環境も先生も違うのに、なぜ学校に行こうとしないのか。私には、どうしても理解できませんでした。
そして、また前と同じ繰り返しです。「学校に行かないのなら、制服もランドセルも捨てるよ。」と脅しながら、無理やり車に乗せ、教室の入り口まで連れて行くことの繰り返しでした。
 こんな時、親業のサークルがあることを公民館の広報で知りました。
私は、以前より平井信義先生の本を読んでいました。先生のいうように、子どもの気持ちをくむことで、意欲や思いやりのある子に育てたいと考えていました。そして、友達が貸してくれた親業の本には、子どもの気持ちを聴く、具体的な接し方が載っていたのです。私は、その時から、親業のことが頭のすみに残っていたのです。
 早速、サークルに参加させてもらい、先生に今の我が家の状態、私の気持ちを聴いていただきました。
先生は、「学校に”行けない”ではなく、”行かない”行動が取れるのはすごいことよ」と言ってくださいました。でも「学校に行くのが当たり前」という意識が抜けない私には、我が子の行動を肯定する気持ちにはどうしてもなれませんでした。先生は続けて「遅れてでも、お母さんと一緒に学校に行けたこととか、何でもいいから子どもさんが出来たことを『○○ちゃん、できるようになったんだね。』と子どもさんに言ってあげて。○○ちゃんは、きっと『お母さんは、私の味方なんだ』と思うわよ。だって、○○ちゃんは、その時自分の出来る精一杯のことをしているんだから」と言ってくださいました。その言葉に、今まで私は、子どもが出来ないことを責めていたことに気づきました。
 また、「”学校に行きなさい”と責めることは、子どもに、”学校に行けない自分はダメな子だ”と思わせてしまうんですよ」とアドバイスをしていただき、私は、「行かなくても、今のありのままの長女を”これでいいんだ”」と言う思いで、受け入れようと覚悟を決めました。
次の朝、自分で学校に行くか、行かないか決めさせ、毎晩寝る前に、その日の一番楽しかった事と、嫌だった事を親子で話しました。そして、学校に行かない日は公園に行ってお昼を食べたり、二人でおやつを作ったり、下の子の育児サークルにも連れて行きました。長女はだんだん明るくなり、私によくおしゃべりをしてくれるようになったのです。2学期の終わりごろ、担任の先生に誘われて、放課後の勉強会にも自分で行くことを決めたました。2年になり、少しずつですが、学校に行くことが出来るようになりました。親の思いを子どもに押し付けないで、子どもに決めさせることはとても難しいことですが、こちらが腹を決めて、子どもに任せれば、親も驚くほど子どもは積極的に行動できるようになるということを実感しました。
まだまだ、子どもの行動に一喜一憂している私ですが、誰かに相談できるということはとても心強く感じてます。
これから4人の子ども達は、私にいろんな姿を見せてくれるでしょう。どんな事があっても、子育てを楽しみながら出来るよう、勉強していきたいと思っています。

ここからは池本の意見です。
反省するってどういうことでしょう。
 たとえば、上司に自分の、仕事を非難され、責められたとき、本当に私が悪かったと、思えますか。主人に自分の失敗を叱られ、「あなた、ごめんなさい」と心からあやまれますか。心の中で、自分だって、このぐらいの失敗はするでしょ。と相手を非難しませんか。友達だから、私の気持ちをわかってほしいという思いで、相談したら、その友達から「あなたの子育てが悪いからよ。」と言われたら、相談する気にはなれませんよね。自分を攻撃する相手に対して、自分を守ろうと防御する心が生まれ、その中からは、本当に私が悪かったと反省する気持ちは沸いてはきません。
 津留晃一先生が、「今までのあなたの生き方が、良いとか、悪いなんて、誰にも決められないし、分からない。すべてこれで良いんです。」と言われていました。これから、どうしたらいいか、その答えを見つけるために、今までのことを反省し、自分ってどういう人間なんだろうということを知ることが必要なんだと、私は思います。(その時決して、自分を自分自身で責めないでくださいね。自分はつまらない人間だ、母親失格だと思うと、よけい心が落ち込んでしまうから。)
 今までの親子の関係なんて、他人には決して分かりません。それは自分で見つけないといけないのです。相談者は、そのための手助けをするだけなんだと思います。私は、親業はまさに、親になるための勉強だと思っています。子どもは親が変われば、自然に子どもも変わってくるものだと思います。子どもさんが小さければ小さいほど、その様子が顕著に見られます。子育てのための勉強がいつしか自分の自立のための勉強なんだということを、5年かかって今やっとわかったような気がします。