目を合わせ、子どもの話に耳を傾けよう

以心伝心では届かない場合、   
 心はどう伝えればいいのだろう

親業訓練協会理事長 近藤千恵さん

人生の方向を変えた”親業”との出合い
 かつては、同じ屋根の下で暮らし、一つ釜の飯を口にしていれば、親の価値観や経験はおのずから以心伝心で子どもに伝わると信じられていたと、近藤千恵さんは言います。
「現代では、子どもを取り巻く環境は全く変わり、情報の種類も量も、けた外れに増えました。幼い内からテレビなどの情報にさらされたきた子どもたちにとって、情報源としての親の存在はどんどん軽く小さくなっています。親の言葉は、子どもの耳や胸に届きにくくなってしまったのです」
 しかも、学校に通い始めると、塾や稽古事に通い、一人になるとテレビゲームに熱中するのが現代の子どもたちです。親と向き合う時間はさらに乏しくなっています。
 こうした環境の中では、コミュニケーションの方法は工夫しないと、親子の心の交流は難しいと、近藤さんは話します。「その工夫や努力の具体的な方策を学ぶ場も必要になったのではないでしょうか」。
 『親業』という耳慣れない題名の本が、出版されたのは1977年のこと。近藤さんが米国の臨床心理学者トマス・ゴードン博士の著書『PET』(Parent Effectiveness Training)を翻訳したものです。 
 「ゴードン博士の唱える『親業』との出合いは、私の人生を大きく変えました」と、近藤さんは当時を振り返ります。
 同時通訳者として活躍していた近藤さんは、長女を出産したばかりでした。仕事と子育てを両方とも完璧にこなそうと奮闘したものの、どちらも中途半端になっているという思いから、家庭でできる翻訳業に活路を見出そうとしていたところでした。
 「仕事をもつ女性だからこそ、よけいに良い母親でありたと無理をしていました。迷いが生じて、親にしかできないことって何だろうかと考え続けていた時に、この翻訳を依頼されたのです。一読して、『これだ!』と思いました。子どもとの心の掛け橋づくり―。これこそ親の”天職”であり、親しかできない仕事だと教えられた気がしたのです」
 近藤さんは、米国の「親業」の講座を受講し、指導訓練の資格も取ったうえで翻訳を完成させました。
 邦訳『親業』が出版されると、近藤さんのもとには、全国から問い合わせや相談が殺到しました。「子どもが言うことをきかない」「何を考えているのかさっぱりわからない」・・・。親たちの悩みは切実でした。同じ親としてじっとしていられない思いに駆られた近藤さんは、80年、自ら親業訓練協会を設立、親子の気持ちの通わせ方を体験学習する親業訓練講座を始めたのです。
気持ちを理解しているよ子どもに伝わる聞き方をする
親業訓練の場では、親子のコミュニケーション方法を三つの場面に分けて考えます。子どもの話を「聞く」場面、親の考えを子どもに「語る」場面、そして親子の間に意見の対立があったとき「解決方法を探る」場面です。
 「話を聞くというのは、子どもの『気持ちを聴く』ということです。いかに気持ちに共感しつつ、理解しようとするかがポイントです」と近藤さん。そして、どの家庭でもありがちなこんな場面を想定しました。「たとえば、あなたの子どもが『成績がさがっちゃったんだ』と言ったとき、あなたはどう対応しますか?」。
 「テレビばかり見てるからよ」「そんなことじゃ、いい学校に受からないわよ」・・・。つい私達親が口にしがちな言葉です。こうした対応は避けなければなりません。対応の仕方にはいくつかのパターンがありますが、いずれの場合も、子どもの話を聞くときに、親が口に出してはいけないタブーでもあるそうです。
 「不適切な対応に出会った子どもは、親が自分の気持ちを分かろうとしないとか、真剣に取り合ってくれないと感じ、心を閉ざして対話がストップしてしまうのです」
 ではどうすればいいのでしょうか。 
 こんなときは「成績がさがっちゃったんだね」と子どもの言葉を繰り返したり、「悔しかったんだね」と気持ちをくみ取って、子どもの気持ちを理解しているよと伝えることが大事だと言います。すると子どもは、親との会話を続けながら、問題の解決を自発的に考える方向へ思考を発展させていくことができるのです。 
 近藤さんは、小学2年の女の子と母親の、実際にあった話を紹介してくれました。
 雨の朝、その子は「雨が降っているから、学校に行くのが嫌だな」と言いました。母親は「雨が降っているから、学校に行きたくないんだ」と、子どもの言葉をそのまま繰り返しました。「だって、ランドセルが濡れるんだもん」。母親はまた「ランドセルが濡れるから嫌なんだ」と繰り返します。すると女の子は「みんな私みたいに小さい傘じゃなくて、大きい傘をさしているんだよ」と、学校に行きたくない理由の核心に触れました。「自分だけ、小さい傘だから嫌なんだ」と、母親。女の子は、「うん」とうなずいてから、「お母さんの白い傘貸してくれる?」と言いました。自分で解決方法を考え、母親に同意を求めたのです。「いいわよ」と母親がうなずくと、大きい傘を広げ、喜び勇んで家を出たそうです。
 「これには後日談があって、次の雨の日には、さっさと自分の小さい傘をさして学校へ行ったそうです。大きい傘は扱いにくいことがわかったのでしょうね」
 近藤さんの笑顔から、それを報告してきた女の子の母親の嬉しそうな様子がつたわってきます。
「私」の心を開いて語れば子どもは共感しつつ理解する
 「親が自分の考えを語るときは『私』を主語にして、気持ちを正直に語ることがたいせつです」と近藤さんは言います。
 たとえば、門限を大幅に遅れて帰宅した子どもに、いきなり「(あなた)今までどこをうろうろしていたの!」とどなると、子どもは非難されたと反発し、口を閉ざしてしまいます。そうではなく「(私は)本当に心配したのよ、交通事故にでも遭ったのかと思って」と、親自身の気持ちを正直に語れば、子どもには伝わりやすいのです。 
 また、親子で意見が対立したときには、どちらが正しいかを争うのではなく、気持ちを確認しながら「お互いにとって最も良い解決策」を話し合いで探していくことが大事だと言います。
 「異なる意見やアイデアを出し合い、親子一緒に問題を解決していこうとするプロセスの中から、子どもは相手を理解し自分で考える力を身に付けていきます。親が自分を理解してくれようとしているという安心感が、親への信頼感になるのです」
 親業訓練の場では、こうした視点を具体的な場面に盛り込み、子どもとのコミュニケーションの仕方を体験学習していきます。 
 そうしているうちに、多くの親は、やがて大きな壁に突き当たるそうです。
 「子どもに伝えたいことが何なのか、自分の中ではっきりしていないことに気づかされるのです。何を大切に思い、どういう生き方をしたいのか・・・。結局自分自身を見つめ直す作業をせざるをえなくなるのですね。そういった意味では、親業訓練は”自分業”訓練へとつながっていくものです」
 親の価値観を子供押し付けることはできない。親にできるのは、親の価値観から子供がよりよい影響を受けるように「さまざまな努力をすること」と話す近藤さん。これだけは子どもに伝えたいと思うことがあったら、「親は子どもの模範となれるよう自分の行動を律することが必要だ」と言います。
 「子どもとの掛け橋を築く過程は、自分を磨き、人間として育つチャンスでもあります。お父さん、お母さん、時間をかける努力を惜しまないで」
 近藤さんは、同じ親としての仲間に熱いメッセージを送り続けています。

社団法人 実践倫理宏正会 発行 愛和(1999年秋号)より